銀座線に乗ったり表参道や銀座を歩いたりしていると、すごくおしゃれなご年配の方々を見かけることがあります。
「モテたい」とか「格好良く見せたい」といった見栄があったり、会う相手、すれ違う相手に対するマナーのような思いがあったり、立場のある方だったりと、おしゃれの背景は人によってそれぞれ違うのだと思います。
全身スウェットや履き古したスニーカーで固めた方がストレスもかからないし、服をケアする手間もかからないし、お金だってかかりません。でも、残念ながらなのか、喜ばしいことなのか、人間はコンピュータのように合理的なばかりではありません。窮屈だし、手間がかかるし、お金もかかるけれど、おしゃれをすると気分が変わります。いつもより自信が出て、自分の気持ちを伝えられて、笑顔になることができます。「気分」は生きものにしかありません。その気分を大切にすることができるのもまた人間ならではです。
おしゃれなご年配の方々を見かけると、背筋が伸びるような気持ちになります。自分の格好が恥ずかしくなったり、年を取ったときに自分もそうありたいという思いが湧いたり、気持ちがざわざわします。そのざわざわは決して嫌なものではありません。
ふと入ったレストランのテーブルに飾られた花のように、帰り道に通りかかる一軒家の玄関先で光るクリスマスツリーのように、にじみ出る余裕が感じられて、美しさが感じられて、見る人の心を豊かにしてくれるものです。
家族もできて、子どももできて、モテる必要はなくなって、忙しくなって、年を重ねるごとに、若いときと比べるとおしゃれをする動機は相対的に縮こまっていきます。それでも自分の気持ちを大切にして、おしゃれをして、上機嫌で街を歩いて、周りの人たちも幸せな気分にする大人に私はなりたいと思います。
そんな思いを強くできるから、表参道や銀座を歩くのが私は好きなのかもしれません。論理的な豊かさではなく、感情的な豊かさがそこには溢れているように思います。